新宿区夏目漱石コンクール

今年も開催! 「わたしの漱石、わたしの一行」コンクール

夏目漱石が生まれ育ち、生涯を閉じた地・東京都新宿区では26年度より、「新宿区夏目漱石コンクール」をスタートしましたが、中学生・高校生を対象とした読書感想文コンクール「わたしの漱石、わたしの一行」が、今年も開催されることになりました。漱石作品を読み、自分の心に深く残った「一行」を選び、なぜその一行を選んだのかを1000~1200文字で表現する、という内容。「ワタシの一行」に着想を得たこのコンクール、もちろん、新潮社も協賛企業として応援していますが、ほかにも朝日新聞や紀伊國屋書店、岩波書店などの企業や、千代田区、文京区、松山市、熊本市ほか全国の漱石ゆかりの自治体が後援しています。「ワタシの一行大賞」とともに、夏休みの自由課題に最適かもしれませんね。小学生を対象にした絵画コンクール「猫になって描いてみよう~わがはいはネコである~」も同時に開催されます。詳しくは、こちらで。

2016.6

茨城キリスト教学園中学校高等学校

生徒から生徒へ!
「ワタシの一行」は本との出会いの“道しるべ”

茨城キリスト教学園中学校高等学校(茨城県日立市/鈴木龍夫校長)は、1948年に創立された私立の中高一貫校です。キリスト教の精神に基づいて「心豊かで、実力のある、自立した国際人の育成」を目指し、現在1,177名が学んでいます。

同校には国語科が選定した「シオンの100冊」(高校生向け)、「シオンの100冊ジュニア」(中学生向け)という独自の推薦図書リストがあります。生徒たちは、ゴールデンウイークや夏休み、冬休みの課題として、このリストから1冊を選んで読書記録の作成に取り組んできましたが、2014年4月からは、この読書記録と「ワタシの一行」を融合したユニークな取り組みが始まりました。70名の図書委員の生徒が「シオンの100冊」を中心に自由に本を選び、そこから選んだ一行とコメントを書き込んだ「ワタシの一行ノート」を、いわば読書の“道しるべ”として、図書館内に張り出すようにしたのです。現在では「シオンの100冊」の書架はもちろん、企画展示コーナー、ナイアガラの滝のようにワタシの一行ノートが横2列に連なる窓際などなど、閲覧室のいたるところに所狭しと「ワタシの一行ノート」が張り出されています。さらに、図書委員が選んだ「一行」は、図書館ブログにも定期的にアップされています。また、同校では、「ワタシの一行」校内コンクールも開催。10月中旬には、前期の入賞者(中学生3名、高校生8名)が、学年礼拝の場で表彰されました。こうした取り組みの発案者である司書教諭・佐藤理絵先生にお話をうかがいました。

ナイアガラの滝のように連なった図書委員の「ワタシの一行」

「本校では陸上競技部が全国大会に出場するなど活躍しており、昨年度まではそれに因んで『本のリレー』と題した本の紹介POPを作成していました。色紙に書名と感想を書いたもので、それなりの反響があったのですが、一方で『本を読んで生徒たちが感じたことが、きちんと伝わっているだろうか?』という懸念もありました。そんな時に出会ったのが、ワタシの一行プロジェクトでした。『これだ!』と感じて、今年度から図書館の活動に取り入れることになったんです。図書委員会で、ワタシの一行について『北野武さんのような著名人の方々も、やっているんだよ』と説明すると、生徒たちはすぐに興味を持ってくれました。そして、『これはいつもの読書記録とは違う。自分のための読書記録ではなく、面白い本はないかと来館した友だちや先輩後輩のために書いてごらん』と呼びかけると、生徒たちは嬉々として本を選び、思ったままを書いてくれました。自分が書いた『ワタシの一行』を読んで来館者が本を借りてくれた、と嬉しそうに報告してくれる図書委員もいます。実際、『ワタシの一行』付きで面出し(表紙を正面に向けて書棚に並べること/面陳)すると、面白いように貸出が増えるんです」


学園独自の推薦図書「シオンの100冊」の棚にも……

佐藤先生は、図書委員会顧問としての“想い”を、こう語ります。 「多感な十代で出会った一冊の本が、生涯の友となることもあるかもしれません。『ワタシの一行』を通じて、そんな“出会い”をきちんと用意してあげられたらいいなと思っています。一方で、興味深い本、おもしろい文章を読んだ時、それを誰かに伝えたい、という気持ちも大事にしていきたい。『ワタシの一行』についても、下手でもよいから自分の書いたものに自信と責任を持ちなさい、と生徒たちに話しているんです」

新潮社本が並んだ11月の企画展示コーナー

本と出会うチャンスを広げ、本を読んだ時の笑いや涙や驚きを友人や先輩後輩と分かち合う……茨城キリスト教学園中学校高等学校図書委員会の取り組みは、まさに「ワタシの一行」が目指す読書の楽しみを形にした試みかもしれません。

「『ワタシの一行』付きで面出しすると、面白いように貸出が増えます」(佐藤先生)

名古屋城に程近い名古屋市立名城小学校

名古屋城に程近い名古屋市立名城小学校(川北貴之校長)は、児童数232名、140年以上の歴史がある小学校です。今年度、同校では6年生(2クラス)の国語の授業で、「私の一文アワード」と題する活動に取り組みました。指導に当たった德岡憲紀先生によれば、「かねてから、“文学作品の中で、もっとも心にひびく言葉・表現を探す”という活動を、文学教材の学習に取り入れてはどうかと考えていました。そんな折、ふらっと立ち寄った本屋で『ワタシの一行』を知りました。“これだ!”と思い、さっそく昨年度、5年生で実践し、そこで手応えを得ることができました。今年度は、『私の一文』と呼び名を変えて、6学年全体で取り組んでいます」とのことでした。  学習は、以下のような流れで進められました。

(1) 単元の見通しをもつ

[1] 「私の一文アワード」の実施と、その内容について子どもたちに知らせる。
[2] 「私の一文」の第1次案を決める。

(2) 「私の一文」をよりよいものにするために、作品を深く読む

[1] 様々な観点で、作品を読み深める。
[2] 「私の一文」第2次案を決める。

(3) 「私の一文アワード」を実施する

[1] 「私の一文」最終案を決める。
[2] 教材から児童一人一人が選んだ「私の一文」と、その一文を選んだ「理由」を、児童の名前を伏せて紹介した。その後、子どもたち同士が、心に響いたものに投票して1位以下10位までの順位を決める。順位を付けることが目的ではなく、「動機付け」「読む目的の明確化」という意味合いが強い。

ここで、重松清「カレーライス」(光村教育図書)を教材とした単元は、子どもたちの投票で選ばれた上位5名の「私の一文」と「選んだ理由」をご紹介しましょう。なお、「私の一文」の中の“段落番号”は、授業の中で便宜的に振ったものです。

第1位・坂口桃奈さん

【私の一文】ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でもほんのりあまかった。
【選んだ理由】この作品は、「初め、ひろしとお父さんの関係はピリピリしていたけれども、お父さんがかぜをひき、一緒にカレーを作ることにより、お父さんとの仲が深まる」という話で、“親子愛”を描いた作品です。  私が最後の段落の一文を選んだ理由は、その前の文までは、語り手は、自分を「ぼく」、お父さんを「お父さん」と呼んでいて、「ぼくたち」とは呼んでいなかったので、この文で、「お父さん」と「ぼく」が、前よりもさらに仲良くなっていったことが分かったからです。  この作品は、私に親子の関係のあり方を考えさせてくれるきっかけを与えてくれました。なぜなら、つい最近、私もお父さんとけんかをしてしまったのです。私が、夜遅くまでテレビを見ていたら、お父さんに注意をされました。しかし、いいところだったので、「あと5分だけ」とくり返し、11時まで見ていました。しびれを切らしたお父さんが「いいかげんにしなさい」とテレビの電源を切ってしまい、ちょうどおもしろい場面だったので、私は「おやすみなさい」とも「ごめんなさい」とも言わず、自分の部屋へ行ってしまったのです。たぶん,そのとき、私は「ひろし」と、私のお父さんは「ひろしのお父さん」と同じ気持ちだったのではないかな……と、この本を読んで感じました。その後、ビデオの録画を見てみると、私が見ていたテレビの番組が、途中から録画されていたのです。おそらく、お父さんが録ってくれていたものだと思うと、あのとき、せめて「おやすみなさい」の一言でも言えばよかった…と、後悔しました。このときの気持ちは、29段落のひろしの気持ちと同じだ……と思いました。私も今度、お父さんに会ったら「ごめんなさい」と言い、仲直りして、もっとお父さんと仲良くなりたいです。

第2位・梅田一希さん

【私の一文】「そうかあ、ひろしも『中辛』なのかあ、そうかそうか。」
【選んだ理由】この作品は、「初め、ひろしはお父さんに怒り、二人の関係はピリピリしていたけれど、父がかぜをひき、ひろしがカレーを作るといったことにより、父が成長を認めたことによって、最後、父と子の目線が互いに同じになり(「ぼく」だったのが「ぼくたち」になり)、父と子の関係が戻った」という話で、“親子の愛”を描いた作品です。  ぼくが「そうかあ、ひろしも『中辛』なのかあ、そうかそうか。」という一文を選んだのは、父がひろしが成長したことを認め、目線が同じなった(とひろし自身が感じるようになった)きっかけとなるセリフだと思うからです。  この作品は、ぼくにお母さんのことを考えるきっかけをくれました。なぜなら、ひろしが、父がかぜをひいて「カレーを作る」と言ったとき、ぼくは「たぶん自分には言えないな~」と思ったからです。ぼくのお母さんは、いつもぼくとお兄ちゃんのために働いてくれて、食事も作ってくれています。なのに、ぼくはそれを当たり前のように思い、「ありがとう」と言ったことはないことを、この文を読んで思い出しました。ひろしは父を心配して、「カレーを作る」と言いました。ぼくが同じ状況だったら、言っていないと思います。ぼくもひろしのように、お母さんに優しい言葉を言えるようにしたい。お母さんのことをもっと考えて、「当たり前」と思ってはいけない。そう思いました。

第3位・立松莉子さん

【私の一文】ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でもほんのりあまかった。
【選んだ理由】この作品は、「初め、ひろしは自分を理解してくれない父に反抗していたが、父の、子を思った行動に触れ、心の内を表せたことによって、『自分のことは分かっていなくても、思ってくれているんだ』と、父を認めたことで、親子のぬくもりを感じ、ひろし自身が一歩成長した話」で、“家族のつながり”を描いた作品です。  私がこの一文を選んだのは、ぼくたち二人の「カレー」(カレーとは昔から続いてきたカレー)、つまり、「親子のつながり(絆)」を表していると思ったからです。「親子のつながり」は、親が子を思い、子が親を認めることで、頑丈になっていくものだと思います。親が子を思い(例えば、25段落で、子のために食事をつくったこと)、子が親を認める(一緒にカレーをつくったこと)。この話の中心としてぴったりな一文だと思いました。  この作品は、私に家族のつながりの存在を考えるきっかけを与えてくれました。私はよく、ひろしのようにお母さんやお父さんに反抗しています。自分の気持ちを分かってもらえないから、そんな理由でお母さんたちを困らせたり、悲しい顔をさせたりしています。でも、「家族はつながっているから大丈夫。お母さんはぜったいに私を嫌いにならない。」と、心のどこかで思っています。けれども、この話を読んで、それは間違いなのではないか、と思いました。築かれた親子のつながりは、簡単に切れるものではないと思います。けれども、親子の関係といっても、お母さんもお父さんも一人の人間です。当然、感情があります。私が反抗している間、一体どんな思いだったんでしょう…。考えてみると、私はただ「つながり」という言葉に甘えていただけかも知れません。自分から思いを伝えることはしないのに、自分を分かってほしいと望む。今考えたら、自分自身に、「はぁ!」「ふざけるな。」と言いたくなります。「“つながり”があるから大丈夫。」そう言っている時点で、それに頼っている、甘えていることに気付いたのです。なぜ、それに気付かなかったのでしょう。これからは、何か問題が起こったとき、家族のつながりに頼り、甘えるのはやめて、しっかり自分の考えを伝えようと思いました。  そうすれば、何か変わるはずだから。家族のつながりは、よりよいものになると思うから。

第4位・神田隆介さん

【私の一文】「何か作るよ。ぼく、作れるから。」
【選んだ理由】この作品は、「初め、お父さんとけんかし、なかなか素直になれなかったひろしが、『カレーを作る』と言い出し、会話しながらカレーを作ったことで関係が元に戻り、さらには親子愛が深まるという話」で、けんかしたことによって、さらに深まる“親子愛”を描いた作品です。  ぼくが「何か作るよ。作れるから。」という一文を選んだのは、それまでお父さんと会話せず、素直になれず、意地を張っていたひろしが、感情が高まって、思わず言ってしまった言葉だと考えたからです。この「何か作るよ。作れるから。」という言葉は、素直になれないひろしにとっては「ごめんなさい」の代わりの言葉だと思います。さらにぼくは、この作品では、ひろしとお父さんの「会話」が重要だと思いました。この一文は、その「会話」が始まった一文です。会話が進むごとにひろしとお父さんの関係が深くなっていきます。そのきっかけは、やはり「何か作るよ。ぼく作れるから。」にあると思います。ここで思わず「何か作るよ。ぼく作れるから。」と言い、さらに「会話」していなければ、最後、ここまで「親子愛」は深まらなかったと思います。  この作品は、ぼくに「気持ちを伝えること」の大切さを教えてくれました。この作品では「親子愛」でしたが、ぼくは友達との「友情」について考えました。ぼくは、友達とけんかしたとき、ひろしと同じように、なかなか素直に謝れない時があります。これからは、ひろしのように、言葉で気持ちを伝え、ひろしとお父さんのようにさらに関係が深まるように、「気持ちを伝える」ということを大切にしたいと思います。

第5位・加藤あみさん

【私の一文】ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でもほんのりあまかった。
【選んだ理由】この作品は、「初め、ひろしは『お父さんなんかに絶対謝るものか』と苛立っていたけれど、自分から『カレーを作る』と言い、二人でカレーを一生懸命作り、お父さんがひろしの成長を認め、『ぼく』から『ぼくたち』と、目線が対等に変わったことによって、最後お父さんとひろしの関係は深まったし、お父さんの愛情に気付いた話」で、“お父さんに対するひろしの考え方の変化”を描いた作品です。  私が「ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でもほんのりあまかった。」という一文を選んだのは、この一文が、「大人で、でも、まだ子どものひろし」を表していると思ったからです。お父さんは、ひろしが食べるカレーは、もう甘口ではなく中辛になったことを知り、一歩大人に近づいたことを認めました。それによってお父さんとひろしの関係が、前よりももっともっと深まったと思います。また,カレーを二人で作ったことも、関係が深まった一つの理由だと思います。もし、お父さんがひろしの成長を認めていなかったら、この一文はなかったと思うからです。  この作品は、私に「お父さんとの関係」について、もう一度考えるきっかけを与えてくれました。ひろしは、お父さんが注いでくれている愛情に気付くことができました。自分に当てはめて考えてみました。私は、お父さんに反抗してしまいます。お父さんがどんなことを思って注意しているかもわからずに、「わかった!!もういいよ!」とすぐイライラしてしまいます。でも、「カレーライス」を通して、お父さんのことも考えて、お父さんの愛情に気付いて、お父さんともっともっと仲良くなれたらいいと思いました。これからも、反抗はしてしまうかもしれないけど、自分が悪いと思ったら、ちゃんと目を合わせて謝ることができればいいと思います。「私の一文」授業風景

「私の一文アワード」を取り入れた学習の成果を、德岡先生は次のように評価します。 【德岡先生の話】「私の一文アワード」のよさは、次の3点にあると考えています。

(1) みんなが参加できる

一文を“選ぶ”という活動は,読むことが苦手な子にとっても、取り組みやすいものです。そして、選んだからには、そこに「理由」が生まれてきます。もちろん、ここには紹介し切れていませんが、「私の一文」をよりよくしていくためのスモールステップを踏むことで、どの子も「私の一文」と、その理由を書けるようになりました。

(2) 意欲が持続する

子どもたちは、学習の中で、常に「『私の一文』をよりよいものにしよう」という意識で作品を読みます。作品理解が深まれば深まっただけ、自分自身の「私の一文」も深まります。これまでの学習では何となく文章を読んでいた子も、明確な目的意識をもって読むことができるようになりました。その分、読みの力も高まったと感じます。

(3) とにかく楽しい

単元の最後に、「私の一文アワード」の入賞者を発表する際、「第○位、◇◇さん!」と発表するたびに、大きな歓声と拍手が起きました。学習後のアンケートでは、学級全員が「カレーライス」の学習が楽しかったと答え、ほぼ全員の児童が「また『私の一文アワード』で、文学作品の学習をしたい」と答えました。

「平成26年度 名古屋市教育研究員」として、教育研究を進める德岡先生は、「今回の実践で、『一人一人が自分の心に響いた一文を探し、交流し合う』という学習は、非常に教育的効果が高いと感じました。『私の一文』を手だてとして、今後の実践・研究を進めていきたいと思っています」と話してくださいました。